音楽で「食べていく」って何だろう?

先日、ひろゆき氏がYahoo!ニュースの中で「趣味を選んだら食えないのは当然でしょ?」という発言をされて話題になりました。
これは音楽大学を出た若者たちが「音楽では食べていけない」と嘆いている現実に対する彼の持論です。

この意見に対して、僕も少し思うところがあって、今回ブログに綴ってみたいと思います。
ちょうど、前回書いたメールの内容とも重なってきますね。


演奏することでお金をもらうことのジレンマ

僕自身も、これまでにいくつかの演奏依頼をいただき、実際にギャラをいただいて演奏したことがあります。
でも、そうした場の多くでは、「観客のニーズ」に合わせることが求められ、自分のやりたい音楽をそのまま表現するのは難しいというのが現実でした。

自分の魂から湧き上がる音を、そのまま奏でたい。
それが許されるのは、実は“お金をもらわない”とき、つまり趣味や奉仕として演奏しているときなのかもしれません。

だから僕は、**「プロ演奏家にならない方がいい」**と思っているのです。
矛盾して聞こえるかもしれませんが、音楽というものは、本来、弾きたいときに、歌いたいときに、心から湧いてくる感情と一緒に奏でるもの
それがいちばん幸せな在り方だと思うからです。


お金を得るなら「教えること」がいちばん自然

じゃあ、音楽で生計を立てることは一切できないのか?
いえいえ、そんなことはありません。

むしろ、人に音楽を教えることには、とても大きな価値があります。
趣味としてピアノやギターを習いたい人、歌をうまくなりたい人はたくさんいます。
そういった人に、自分の経験や感動を伝えることは、音楽の本質を損なうことなく、対価も得られる自然な方法だと思います。


著作権について思うこと

それからもうひとつ。
音楽にまつわる「著作権」の問題について。

たとえば、「自分の曲を勝手に演奏された」「使用料が払われていない」などの問題があちこちで起きていますが、正直なところ、僕はあまりそういう話に共感できません。

「お前の音楽を演奏して、俺が宣伝してやってるんだよ?」
…なんて言いたくなる気持ち、ちょっとだけ分かってもらえますか?(笑)

もちろん、権利を守ることも大切だけど、音楽ってそもそも誰かと分かち合ってこそ、意味があるもの。あまりにも「これは誰のものか?」ということにこだわりすぎると、本末転倒になってしまう気がしています。


音楽は「循環」するもの

お金のために音楽をするのではなく、
音楽を通じて誰かの心に触れたり、共鳴したり、その結果として「何か」が返ってくる。
それが自然な循環だと思うのです。

僕にとって音楽は、魂の表現であり、祈りであり、贈り物のようなもの。

これからも、そうしたスタンスで音楽と関わっていきたいと思っています。

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